漫才頂上決戦「M-1グランプリ2023」で準決勝進出を果たした豪快キャプテン。
そんなM-1への想いや高校時代のお話など高校生スタッフが取材しました!
(※この取材は12月1日に行われたものです)
人生が変わるような場所
M-1の予選から緊張はありましたか?
山下 3回戦は特に緊張したかな。準々決勝からは大きなホールが会場やけど、3回戦はいつも舞台に立ってるよしもと漫才劇場なので、その分余計に緊張したというか。
賞レース前のルーティンはありますか?
山下 賞レースの前日はベタにカツ食いたいっすね。
ベーやん 普通の生活をすることじゃないですか。
山下 ベーやんは基本的に何も考えてないから。
ベーやん だから普通にやるという。
豪快キャプテンさんにとってM-1とはどのようなものですか?
山下 初めて芸人さんってカッコいいなって思ったのが中学1年ぐらいの時に観てたM-1です。
ベーやん M-1は間近で人の人生が変わっていく…。僕はまだ人生が変わったことはないですけど、M-1は人生が変わるような場所かな。
準決勝に勝ち進まれた勝因をどう思われますか?
山下 ずっと仲良くしてもらっているビスケットブラザーズさん、ロングコートダディさん、ニッポンの社長さんが、M-1やキングオブコントなりで成果を上げてどんどん売れて行って皆さんにいろんなライブに呼んでもらったり、皆さんのネタを見る機会も多かったりしていたことが勝因に繋がったと思います。
ベーやんさんはいかがですか?
ベーやん 山下さんが「ギャンゴリ」ってみんなから言われるようになって、フィーチャーされるではないですけど、みんなに伝わって受け入れられてここまでの成果が出たんじゃないかなと僕は思います。
ところで、お二人がコンビを組まれたきっかけを教えてください。
山下 お互い別のコンビを組んでいて芸歴で言うと俺がべーやんより1期上やけど、 年は6個ぐらい違うのでほぼ喋ったことはなかったけど、お互いのコンビが解散した時期が一緒ぐらいやったので一回やってみようかと。
ベーやん 最終的に僕が「コンビ組んでください」ってお願いしました。
ネタはどちらが書かれていますか?
山下 僕です。ネタの題材をベーやんからたまにもらって、僕がネタを大まかに考えて二人で喋りながら作っていく感じです。なので、ネタのノートはないです。自分たちの舞台を携帯で録音したのを聞いて悪いところを変えていってます。
お笑いへの興味を持ち始めたのはいつ頃ですか?
山下 おばあちゃんがお笑い好きやった影響で、保育園ぐらいから土日の昼間は漫才番組を見てましたね。なので保育園の頃からずっとお笑い好きです。
ベーやん 僕も小さい頃から「志村けんのバカ殿様」とかをずっと見てました。それが僕のお笑いの入口です。
学生時代に人前でネタを披露されることはありましたか?
べーやん 学生時代はないなぁ。でも、高3の時にハイスクールマンザイに出ようと思って友だちを誘ったけど一緒に出てくれる子が誰もおらんくて。
山下 僕はハイスクールマンザイとか知らんくて野球してたな。
ずっと漫才をやり続けたい
お二人が芸人になりたいと思われたのはいつ頃ですか?
山下 僕は小学校の頃はプロ野球選手になりたくて、クラブチームに入って野球をやってたんですけど、そういうところにはめっちゃ上手い子がいっぱいて。その時にプロ野球選手は無理やなと思って。お笑いはずっと好きやったからそこからお笑い芸人になりたいと思ったかな。
ベーやん 僕は小学5、6年の時には芸人になりたいって言ってました。中学卒業してNSCに行こうとしたけど、 高校でもまだ芸人になりたかったらNSCに行こうと思って。高3の時にまだなりたかったから芸人になったという感じですね。
当時、ご家族の反応はいかがでしたか?
ベーやん 複雑だったでしょうね。でも、今はすごい応援してくれてます。
山下 べーやんの親はめっちゃ舞台を観に来てくれてますね。広島から名古屋まで観に来てた時もあったよ。
ベーやん 大阪飛び越えて!(一同笑)
ベーやんさんは、高校卒業後に広島から大阪に引っ越してNSCに入学されました。親元を離れて大阪に引っ越しされる時はどのような気持ちでしたか?
ベーやん 楽しみが勝ちすぎて不安は全くなくて、やっとなりたいものになれる! という思いで興奮してました。でも、そこから半年後にちょっとホームシックに入るんです。NSCに入ったらみんな年齢もバラバラで、気心知れた人が欲しいっていうだけの理由でちょっと広島に帰りたいなって思った時がありました。
半年後に襲ってきた寂しさは結構きつかったですか?
ベーやん びっくりしました。自分はこんなに広島に帰りたいんだと思って。
ホームシックはどうやって解消されたんですか?
ベーやん その頃にやっと気心知れる同期ができ始めたんです。それで、もうちょっと頑張ってみようと落ち着きました。
山下さんは、大学卒業後は証券会社に入社されたのですよね?
山下 大学に行ってから芸人になろうとずっと思ってたけど、1年間働いてお金を貯めて、自分のお金で全部できるようになったら親に芸人になりたいと言おうと思って。
親御さんにお伝えした時の反応はいかがでしたか?
山下 やばかったよ(笑)。お父さんには「なんでそんなええとこ辞めてまで芸人になるねん! 」ってめちゃくちゃキレられて、お母さんは「あんたの人生やから」って言ってくれてました。
いい会社を辞めて芸人さんになるのは相当な覚悟がいりましたか?
山下 その時はまだ22、23歳だから芸人として売れなくてもなんとかなると思ってました。でも、今はもう売れなやばいね(笑)
証券マンとしての生活はどんな生活だったんですか?
山下 配属先は山口県で、毎朝5時半ぐらいに起きて会社に行って掃除して、みんなが来て朝礼。仕事は自分のエリアの個人宅へ基本的に飛び込み営業でした。2、3年目だとノルマを課せられてしんどかったかもしれないけど、僕はしんどいとこまで行かずに辞めた感じです。
当時の経験が芸人さんのお仕事に活きていることはありますか?
山下 僕は基本的にめっちゃ人見知りなんですが、仕事で嫌でも知らない人と喋らなあかんかったのは良かったかもしれないです。
では、今後どんな芸人さんになっていきたいか教えてください。
山下 もちろんテレビに出たい気持ちはありますが、NGK(なんばグランド花月)とかでずっと漫才はやり続けたいです。
べーやん 志村けんさんのようなみんなに認知される芸人になりたいです。
「2023年に叶ったこと」
べーやん
山下
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べーやん
1994年10月2日生まれ
広島県広島市出身
NSC大阪36期生
山下ギャンブルゴリラ
1988年7月16日生まれ
兵庫県神戸市出身
NSC大阪35期生
2019年5月27日コンビ結成
<オオサカ大作戦#32>
2024年1月29日(土)18:25開場/18:40開演
森ノ宮よしもと漫才劇場
出演:チェリー大作戦/金属バット/ツートライブ/カベポスター/からし蓮根/豪快キャプテン/ソマオ・ミートボール