コンプレックスを克服するため芸能の道へ
宮沢さんはどんな高校生だったんですか?
宮沢 おとなしくてめちゃくちゃ恥ずかしがり屋で、クラスの前でプレゼンするだけでも頭の中が全部飛んじゃって、カンペも読めなくなるくらい緊張していました。今舞台をやったり人前に立ったりしているのが不思議ですよね。
何か変わるきっかけはあったんですか?
宮沢 人前に立てないことがコンプレックスでもあったので、それを克服したいという気持ちもあって、芸能の道に進んだところもあるんです。
映画でも“もしこちらの選択をしていたら”という期待を込めてタイムリープをしていたところがあると思うんですが、宮沢さんはやり直したいくらい恥ずかしい、高校時代の思い出ってあったりしますか?
宮沢 高校2年か3年の頃に、少し芸能界に興味を持った時があったんです。原宿の竹下通りを歩くとスカウトされると聞いたので、その時自分が持っていた一番オシャレな服を着て、ひとりで竹下通りを4往復くらいしました。親にも内緒にして「友だちと遊んで来るわ!」と言って出かけたんですが、一度も誰にも声をかけらなかったのが、今思い出しても消したいくらい恥ずかしい思い出です(笑)
「高校生のファッション事情」
高校時代の制服の思い出を教えてください!
宮沢氷魚
先輩たちが道を開けてくれた
僕は男子校のインターナショナルスクールに通っていたので、少し変わったところがありました。制服は紺のスラックスにYシャツと青いネクタイ、紺であればセーターなどは自由に着て良かったんですが、スポーツをやっていたら一軍チームにいる人だけが買えたり、音楽だったら特定の大会に入賞した人だけが買えるスタジャンがあったんです。中学が2年、高校が4年間あって、僕は野球部で高1の時から一軍に入れたので、このスタジャンを着ることができました。1年であっても、これを着ていると廊下を歩いていても先輩たちが道を開けてくれるんです。まるで「花より男子」みたいな世界です。みんなこのスタジャンが欲しくて頑張っていましたね。大会で優勝とかするとワッペンがもらえて、僕は4年連続で野球のオールスターに選ばれてそのワッペンも貼っていました。このジャンパーを持っている人はパーカーを着ていいとか、ワッペンをいくつか取るとローファーではなくスニーカーを履いていいという暗黙のルールもありました(笑)
『君を愛したひとりの僕へ』
- 原作:乙野四方字(「僕が愛したすべての君へ」「君を愛したひとりの僕へ」(ハヤカワ文庫刊))
- 監督:松本 淳(『僕が愛したすべての君へ』)、カサヰケンイチ(『君を愛したひとりの僕へ』)
- 声の出演:宮沢氷魚、橋本愛、蒔田彩珠、他
- 配給:東映
- ©2022「僕愛」「君愛」製作委員会
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