株式会社アビー
大和田哲男 社長
“限りなく生に近い”状態を再現する、タイムマシンのような冷凍技術!
世界初の冷凍技術「CAS(CELLS ALIVE SYSTEM)」で革命を起こし続けている大和田社長にお話を伺いました!
- ▼ 大和田社長が心掛けている3つのこと
お客様を好きになれること
お客様の笑顔が見れること
仕事が楽しいと考えられること
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僕はいつも “これができるとお客様の笑顔が見られるな” と考えながら仕事をしています。今京都大学の山中教授の研究センターで医療分野での研究を一緒に進めているんですが、先生方も皆さん患者さんの笑顔を見ているんです。お金のことだけを見ていたら、絶対に道を見失います。やはり “お互いに幸せになっていこう” という気持ちが一番大事だと思います。学校もそうだと思うけど会社もチーム力。最近は自分だけが良ければいいという発想が増えている感じがあるけど、人はひとりでは生きられないからね。
CAS(キャス)ってどんな技術なんですか?
美味しいものを美味しいままに
時を超えて再現する技術
フリーザーの内部に、特殊なCAS発生装置を使ってCASエネルギーを均一に与えることで、細胞組織の中にある水分子を振動させて食材の細胞壁や細胞膜を保護しながら凍結し、解凍すると凍結前と同じ状態「生」に戻すことのできるシステムです。CASエンジンは世界初の革命技術として、現在では食品から医療・応用物理まで、幅広い分野に用いられています。
社長はどんな高校生でしたか?
仲間を守る番長
友だちと朝まで語り合っていた
決して “いい子” ではなかったですが、僕らの時代はケンカが強い子たちが集まった番長制というのがあって、周りの学校の悪い連中が自分の学校の生徒をいじめたりすると、我々が特攻部隊になってこらしめに行ってました。でもクラスの中で体が弱い子や少し行動に時間がかかる子をいじめることは絶対になかったですね。
僕の周りにはいつも東大に行くような頭のいい連中がいたんです。僕が可哀想になって一緒にいてくれたのかもしれないんですけど(笑)、そんな友だちと朝まで語り合ったりしていました。何を話していたかは思い出せないんですが、今でも会うと朝まで飲み明かします。僕は77歳で今も現役で働いているんだけど、賢い連中はもうみんな引退していて。そうすると僕の方が若いの(笑)。僕はクラスの仲間を守れなくてクラスをいじめるような子に未来なんてあるわけないと思っています。
就職後、どんな勉強をしましたか?
素材のことを知らずに
食品機械は作れない!
父の経営する食品機械メーカーの会社に入って、工場の流れを覚えて、最終的に営業と開発の部署に入ったのですが、当時機械屋さんで素材の勉強をしている人は誰もいなかったんです。でも僕は、食材のことがわからず物を煮たり焼いたりする機械の開発はできないと考えました。そこで23歳の時に社長にお願いして、月締めの売り上げをきちんとするのなら、という条件で食材の勉強に行かせてもらうことにしたんです。
いろんな材料メーカーさんの門を叩いて、最後に大阪の不二製油の当時の丸山部長に「面白い坊やだ。明日からおいで」と言っていただき、そこで20年勉強させてもらいました。何の仕事でもそう。先生をするなら子どもという素材をよく知らないとだめでしょ? それを教えてくれたのが不二製油さんでした。冷凍機を一緒に研究開発し、生クリームのケーキを冷凍して5年経ってもひび割れひとつしない冷凍機を作ってフランスの国立職業訓練校に初めて輸出したのが40年以上前のことです。
一番勉強したなと思う時のことを教えてください!
自分で自分の約束事を作り
それに必死に付いていく
まさにその時は、教えを乞うて、それに対して教えてくれる人がいるわけですから、僕がふらふらするわけにはいかないじゃないですか。約束の時間内にできないなら、夜寝ないでも勉強しないといけないというルールになるでしょ? 自分の約束事を自分でするということはとても大事なことだよ。その約束事にどこまで付いていけるか、ということが君たちの未来に一番大事なことだと思います。学校の成績で一番になることが良いことだとは思わないけど、人間として生きる道の上では、やっぱり一番上にいって欲しいな。人に対する思いや物事、社会に対する思いの力強さが出てくると、きっと道が見えてくると思います。
社会に出る上での心構えは?
親への感謝と友だちを大事にする心は
忘れちゃいけない
幼い頃僕は遊びの天才だったから、暇を見つけてはすぐに出かけちゃうの。小学1年生の時には九九ができなくて、うちの父は代用教員の資格も取った人だったから、仕事が終わって夜10時から僕に勉強を教えていました。雪が降るような寒い日でも、僕が居眠りすると父は僕を水風呂に浸けたんです。尺八が好きな人だったので、尺八でお尻をペンッと叩かれました。今では考えられないですよね。でも今の僕があるのは、父のおかげです。そして母のおかげなんです。
ある日、夜中に父と母が離婚の話をしているのを偶然聞いてしまったんです。「哲男は連れていくから残った子をお父さんお願い。あなたのやり方を続けているとあの子は死んじゃう」と言う母に、父は「哲男がかわいくなくて叩いていると思ったのか? 今のままいくと大人になった時に生きていけない。だから心を鬼にしてここで叩き直しておかないと」と言ったんですよね。誰だって自分の子どもを水風呂に入れたいなんて思わないわけだから、親は大変だっただろうなと思うんです。
30代でいろんな仕事をし始めた時に、父に「あの時はありがとうございました」と言ったら、父はものすごい涙を浮かべていました。だからお父さんとお母さんの苦労に感謝の気持ちをまず持ってください。その中に仕事だとか人生の道というのが出てくるように思います。親への感謝と友だちを大事にする心は絶対に失くしちゃいけない。それは日本人の本当の魂だから。友だちを大事にできない人に明日新しい技術を作るとか、そんなことはできません。父と母や友だち、隣のおじさんおばさんまで愛情を持って大事にできる人になればこそ、君たちはもっと伸びると僕は信じています。
自分だけの道の切り拓き方を教えてください!
道路と思うか道と思うか、
捉え方で大きく変わる
道ってすごく楽しい道路です。でもそれを道路と思うか、道と思うか。道路は歩いていると疲れちゃうけど、道というのは、自分が努力することによって脇にお花が開いていくんです。
思い込みの仕方によって大きく変わります。「あなたたちの道が未来に続いている」というのはみんなが言うことだけど、僕はその道にたくさん花を咲かせて、周りの人たちに幸せだなと思わせる道を作ることがあなたたちのするべきことだなと思います。だってそれだけの力を持っているんだから。僕らの時代は日本全体が貧しかったからみんなで頑張らないといけなかったけど、今は豊かになってみんながそれを忘れちゃっているような気がするな。「環境に左右される」という言葉もよく言われますが、環境を左右するのは自分だからね。これは間違えちゃいけないよ。
社長は今どんな未来を
見ていますか?
100年後の食品ロスや残さの
問題に向かっている
地球の温度が上がって、おそらく近い将来、食べ物がなくなっていき、建物の中でお米や野菜を作らないといけなくなる時代がくると思います。だから、僕の研究室の子たちには、「微生物を生きたまま100年保存する技術を研究していかないといけないよ」と話しています。米は水があれば育つわけではないからね。魚も採れなくなってきているでしょ。だから次の段階は備蓄なんです。今は10年間保存して、解凍すれば最初の生と変わらないくらいまで技術を上げてきましたが、僕はこれを50年まで引き伸ばしたいと思っています。採れているうちに備蓄して、採れなくなった時に売っていくというのもこれからの一つのビジネスになるでしょう。
開発途中で諦めたくなったことはないんですか?
最初から成功は見えない
ただ一本道を進んできただけ
僕には父に教わった戒めがあるんです。それまではひっちゃかめっちゃか、読んだ本の知識もどこにいったかわからない状態でした(笑)。ただ、君たちと同じ年代の頃に父が僕に言ったのは、「物事をひとつやると決めたら、一生かけて絶対にそれを通しなさい。疲れたらいっとき休みなさい。途中で投げ出すことは人間として恥だよ」ということ。一度決めたことが完成するかどうか、必要とされていることかどうかなんてわからないんです。でも人生を決めた以上は、新しい道が現れたからといってそっちの道に進んでいたのでは、一生涯道探しで終わってしまうよ、ということを父は僕に言ったんだと思います。
もちろん途中下車で休んだことは何度もあります。でも必ず復帰します。CASは、アメリカやカナダなど寒い地域でよく起こる “フリージングレイン(雨氷)” (※降ってきた雨が物にぶつかった瞬間に凍る現象)を再現しようということで開発を始めました。榊原さんという僕より年上の神様のような技術者の方と一緒に、「お客さんのニーズは僕が知っているから、榊原さんには技術開発をお願いします」と言って、たくさん喧嘩もしながらずーっと研究を続けてきてできたのが今のCASです。だから君たちも疲れたら休んでください。そして決めたことはやり遂げてください。僕は父の言葉を君たちにもプレゼントしたいと思います。
社長は“働く”ということを
どう捉えておられますか?
僕は“働く”という大きな尺度で
考えたことがないんです
僕らの場合は日々お客さんと会ってお客さんの悩みを聞きます。それに対して何かできないかなと考えるんです。友だちの悩みを聞いてあげるのと同じ感覚です。僕も友人たちの言葉にたくさん助けられてきました。仕事より先にまず人を大事できる大人になりなさいということを僕は父と母と周りの方々から教えられてきました。仕事というのは、人間性がどうあるかによって生まれてくるんだと捉えてくれたらいいのかなと思います。
社長の最終的なゴールはありますか?
社員たち、そして未来の日本のために
道を作りたい
僕のゴールは、あと6、7年以内に社員の年俸を2000万くらいまで持っていけるように、そのための道を作りたいと思っています。日本は技術立国にならないとダメになってしまうと思っています。日本が外貨を稼ごうと思うと物をつくって売っていくしかない。だからうちの会社は学校を出た出ないに関係なく、若い子たちで「働きたい」という子たちがいたら迎え入れられるようにしていきたいと考えています。物づくりって博士号を取ったから良いものができるわけではなく、ずっと続けていく根の強さが必要だと思うからね。
これからは女性の世界になっていくから、女性の根の強さと男性のキレのよさ、その両方で仕事ができる文化を作って、技術を輸出して欲しい。その外貨が、物価を下げてくれるからね。そして勤める会社は、会社の大小で選ぶのではなく、自分たちの未来を考えて選んで欲しいなと思います。でもその前に、僕は大学時代山登りばかりしていたんだけど、君たちには旅もして欲しいし、新しい道を歩いて欲しいね。
男の子は女性に使われても腹を立てない器の大きさを育てないといけないよ?
りょうが
大和田社長
高校生へメッセージ
君たち一人ずつの顔をこうして見ているとね、未来がまだまだあるじゃない。いいなぁ〜と思うよね。オーバーに言うなら、君たちには、世界の人たちを救うという未来があるんだよ? 世界の総人口は28年先には100億を超えると言われています。そこには食べ物や病気、住宅の問題などが出てきます。何でもいいからひとつの道を追いかけられる人になると、それが100億の民を幸せにする産業興しになります。大事なことは目的を持って、 “走る”こと。君たちがスターなの。君たちの舞台なの。君たちがどういう生き様をしてくれるかを僕は知りたいな。
今日は君たちへの期待度の話ばっかりしているね(笑)。でもね、努力をして、周りを持ち上げていく原動力になってください。苦労すればするほど周りの人が幸せになるということ。何も物づくりだけじゃない。それを運営する側の仕事もある。良かれと思う仕事を作ってください。
そして今日僕は父の話をしたよね。あなたたちの道は、あなたたちのお父さんやお母さん、おじいちゃんおばあちゃんたちが見つけさせてくれたんだよ、ということ。大人になるとまるで自分が道を見つけて自分だけが苦労しているような気になってくるんだけど、どの仕事をするにしてもそこは一番ブレてはいけないところだと思っています。だから僕の話より身近なお父さんお母さんの話が一番有効だということを覚えていてください。身近な人のことって意外と見えないの。でも勉強できることって一番多いんです。お父さんお母さんに「ありがとう」と言える人になってください。それが伸びていくルールなんです。
しおり(高3) どのお話も深くて感動することがたくさんあり、これからもっと頑張ろう! とより前向きな気持ちになれました。広い視野と思いやりの気持ちを持って、お互いに信頼関係を築きながらチームで協力することも大事にしていきたいです。大学では自分の興味のある勉強に集中できるので、目標を決めて勉強を続けていきたいなと思います。
みずき(高3) 社長というより、もはや学校の校長先生という感じでした。私は薬学部に進むので、薬の勉強をするのはもちろんですが、薬剤師になっていざ患者さんと接するときに、薬の説明だけではなくその人の心を汲み取って手を差し伸べてあげられるような人になりたいなと思います。(社長が大学入試の面接官だったら心を見破られそうで怖いです!笑)
りょうが(高1) 僕たちが聞かずとも聞きたいことを全て話してくださって、大和田社長にはほぼ全て見越されていた気がしました(笑)。僕は文系で、CASのような新技術を開発する仕事に携わることは難しいかもしれませんが、周りの人を見習ったり、人と協力することはできます。自分だけではなくみんなが幸せだと思えるような空間を作れるようにしたいなと思います。
ありさ(高3) 大和田社長の言葉の一つひとつがずっしりと響いて、背筋が伸びるような取材でした。私は将来、多汗症の患者さんの生活向上のためにファッションで解決を図ろうと考えています。多汗症は“沈黙の障害”とも呼ばれています。大和田社長が私たちの将来に期待してくださっているからこそ、自分の可能性に蓋をせずに泥臭く道を進んでいこうと思いました!