食文化に対する独自のこだわりを持ち、意欲的に事業展開している株式会社ガーデンバール&コーヒージャパンの山﨑紀文社長。
起業の糧となった高校時代の体験、コーヒー事業に賭ける想いとは?
どんな会社か教えてください
’14年に本場ナポリからピザ窯を取り寄せて大阪を拠点にピッツァリアとしてスタートしました。特に力を入れているコーヒー豆のホテルやレストランへの卸業、続けてたい焼き店「福八」、シフォンケーキ店「しふぉん堂」をオープンさせました。
コーヒー業界の魅力とは?
世界規模で事業を展開できることと価格決定権があることです。あのスターバックスの社長は、銀座で飲んだコーヒーに感動して、シアトルで開業しました。それが今や日本のコーヒー業界を席巻している。そういう現状が悔しくて、日本のコーヒー市場を日本の会社が取り戻せないものか、“誰もやらないなら、俺がやってやる! 日本を代表するコーヒーメーカーになる!”と決心し、社名にジャパンを入れました。
コーヒーにハマったきっかけは何ですか?
コーヒーの香りを嗅ぐと、家族の尊い時間を思い出します。両親はちょっと変わっていたけど、本物に対するこだわりが強い人で、地元の鹿児島から夜行列車に乗って京都の美術館に行くこともありました。その帰りに喫茶店に入ってコーヒーを飲むことが家族で唯一の至福の時間だったんです。だから自然と、僕にとってコーヒーは特別な存在になったのかもしれません。
ご家族の影響が大きいのですか?
そうですね。母親は超スパルタの教育ママだったんですが、僕が小学5年生の時に脳腫瘍で入院し、退院後に変わりました。「生きて帰って来られた」と泣き、僕たち兄弟を抱き抱えて、「これからは勉強はしなくていい。一度きりの人生なんだから本当に夢中になることをしなさい」と言ったんです。子供ながらにそう言われると逆に怖くなって勉強するようになりました。
高校時代の経験で今につながっていることは?
高校は進学校でしたが、学校に内緒で近所のカフェでバイトをしていました。そのオーナーから受けた影響がとても大きいですね。田舎にしてはすごく洒落ていて、来店するお客様にも恵まれていました。皿洗いしながらカウンター越しに大人たちの話を聞いたり、僕も大人に交じって会話したりしてるうちに自然と成長できたし、物事をいろんな角度から考えることができるようになりました。
起業を考えたのはいつですか?
大学2年生、20歳の時です。空間デザインの勉強がしたくて大阪芸大に入ったんだけど、周りは個性的な芸術家ばかり。ここは違うな、と大学を辞めようかと思っていた時に、学科の先生が「デザイン会社は無資格でもできるから、頑張ってみたら?」と助言してくれたのがきっかけで会社を作り、百貨店のディスプレイを請け負ったりしました。
仕事のアイデアはどうやって思いつくのですか?
全部人からヒントをもらっているので、いつも心をオープンにしてコミュニケーションを大切にしています。コミュニケーションはとても大事です。それともうひとつ大事なことは、物事を決めつけないこと。自分の知識はたかが知れています。無理って決めつけないで、何でもやってみる。ただチャレンジすることが目的の人は、器用貧乏になるんです。そうならないために、ちゃんと“目的の目的”を持つこと。自分はチャレンジして何を得ようとしてるのか、なぜそれをするのかをしっかり考えることです。
- 山﨑社長にお聞きした
夢中なことを見つける
努力することは大切だけど、「努力は夢中に勝てない」が持論。僕は今の仕事に夢中です。睡眠不足が続いても仕事が楽しくて仕方がありません。
巻き込む力
オーケストラで指揮者がタクトを振って演奏者を巻き込み観客を感動させるように、社長には常に冷静で、周囲を巻き込む力が必要です。
信頼と敬意を持って世の中に接する
どの業界にも先輩がいて、その世界のルールがあります。僕はお世話になった方に、毎朝5時半に起きて、直筆で礼状を書くようにしています。
社長になるために必要な3つのこと
ういこ(高3) ・あゆっぺ(高1)・てやん(高3)